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Details

設計コンペテーマ詳細

A  第26回セントラル硝子国際建築設計競技 1991

   「EAST MEETS WEST」

東と西の出会いは、政治や経済の世界だけでなく、文化や建築の世界でもはじまろうとしている。それぞれ独自の社会環境で育まれてきた文化や建築が、東と西に、西は東に影響し合ってきた。しかしそれは、それぞれの主体を明確に保持した上で影響し合ったものである。それにひきかえ現在、両者対等な立場での融合の可能性が見えはじめてきている。あるいはそれぞれの様式を崩さぬまま、共存し共生するものであるかも知れない。多様化の時代といわれ、さまざまな考え方、コンセプト、様式が混在し、共生する現代であるが、東と西の出会いをどうとらえるかということが、もっとも今日的課題となってくるのではないだろうか。今回の課題はそうした時代の流れに対応し「East Meets West」を建築として具現化することである。東洋と西洋、東欧と西欧、ひとつの国のなかでの東と西、さまざまな東と西の出会いが想像され得るであろう。その具体的な施設としては東西交流センター、東西交歓保養施設などをはじめ幾多のアイデアが考えられるであろうが、そうしたデザインの志向を持つのであれば、その建つ場所、建物の種類や規模などは応募者の自由設定に任せる。建築の行方を見通し、次代を担うに相応しい創造力豊かな応募案を期待している。

 

引用元
新建築 1991年1月号

第26回セントラル硝子国際建築設計競技応募要項発表

​セントラル硝子㈱様提供

 

 

 

B  第24回日新工業建築設計競技 1997

   「エッジに住む」

エッジとは「際」である。際空間には自らの存在する領域のアイデンティティが強く求められる。あるいは逆に、領域が転換していく儀式の表現をエッジに求めることがあるかもしれない。いずれにしてもエッジには、明確な性格付けが必要である。 現代都市のコンプレクシティのなかで、さまざまなエッジが生まれ、押し動かされ、消滅していく。たとえば都市が成長していく場合にはその先端がエッジで、アメーバの成長のように不定型に都市を押し広げていく。しかし伸びきった都市は内部が空洞化し、その部分に新しい可能性を求めエッジがうごめきはじめる。再開発はそうした場所の活性化を計るものであり、その効果の及ぶ先端がまたエッジとなる。それだけではない。現代都市のなかには、見えにくくゆらいでいるエッジも数多く存在しているのではなかろうか。 住宅地のエッジであるならば、一方は住宅地を飲み込もうとする都市と向かい合い、他方は田園や森林など自然環境と対峙する。そして両方の領域をつなげる役割を果たすエッジもあれば、隣接する領域との差異をはっきり示すエッジもある。 エッジは都市に限ったものではない。水際もエッジであれば、畑と森の接点、断崖の際など地理的なエッジもある。あるいは空とのエッジもあろう。自然環境的意味でも、いろいろな概念のエッジが存在するのである。 エッジは常にホットである。異なった領域との接点であるため、そこには緊張感が存在し、さまざまなエネルギーが渦巻く。それはアクティビティとなり、エッジの魅力の根源となる。最先端のライフスタイルは、エッジにこそ生まれてくるのかもしれない。 今回の課題「エッジに住む」は、あなたにとってエッジとはなにか、まずそれを考えることからはじまる。 そこでの住まいは戸建てであってもよい。そしてそのエッジに住むメリットはなにか、魅力はなにか、さらになにが可能か、どのようなライフスタイルが存在するかなどを想起し、その思いを表現して欲しい。チャレンジャブルな提案を期待している。

 

引用元

[第24回]日新工業建築設計競技HP

https://www2.nisshinkogyo.co.jp/compe_past/past24.html

 

 

 

C  第8回エス・バイ・エル住宅設計競技 1998

   「モナ・リザの家」

ルネッサンスを体現した天才レオナルド・ダ・ヴィンチは、人類絵画史上最高峰の「モナ・リザ」をフィレンツェで書いた。1505年53歳のときのことであった。

肖像画は通常、描き終えたならば依頼主のところへ行く。しかし「モナ・リザ」はその後、レオナルドが1519年に没するまでの15年間、ミラノ、ローマフランスのアンボワーズと、流転するなか手許を離れることがなかった。没後、フランス国王フランソワ1世によって買い上げられ、後にルーブル美術館創設にあたっての重要な収蔵作品のひとつとなった。

「モナ・リザ」には幾つもの謎が付きまとっている。モデルは誰か?微笑の意味は?なぜ髪を結っていないのか?背景の風景はどこか?左手の描写は未完ではないか?自画像ではなかったか?などなどである。そして謎がまだ魅力をよんでいる。

欧米では「モナ・リザ」よりも「ジョコンダ」と呼ばれることが多い。「リザ」は「エリザベッタ」の略称で、「モナ」は貴婦人の敬称である。一方、「ジョコンド家夫人」の通称が「ジョコンダ」となる。それではモデルは分かっているではないかというと、そうでもない。レオナルドは特定された個人の肖像画よりも普遍的な人間像を描こうと試みたのだという説もある。また「モナ・リザ」を境に絵画が芸技から格上げされたという見方もある。そして私生児として生まれ、生涯独身を通し波瀾に満ちたレオナルドの生い立ちや経歴、思想を知ることもまた、「モナ・リザ」を理解する上に欠かせないであろう。

謎に包まれた「モナ・リザ」を応募者各自が解読し、そのふさわしい家を設計するのが今回の課題である。

夫や家族関係は?社会環境は?信仰心は?趣味は?そして何処にどう住むのかを1枚の絵から読み取り、提示してほしい。その時代はルネッサンスではなく現在であってもよい。環境もイタリアではなく何処であってもよい。

応募者は創造の翼を羽ばたかせ、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」ための家を提案してもらいたい。

 

引用元

エス・バイ・エル住宅設計コンペ10周年記念入選作品集

エス・バイ・エル㈱(現㈱ヤマダホームズ)様提供

 

 

 

D  第14回 TEPCO 快適住宅コンテスト 2010

   「ダメハウス」

テーマはダメハウスである。これは出題者の造語ではない。とある地方大学の近くに学生たちが共同で暮らす一軒家が存在し、彼らはそこを「ダメハウス」と名づけていた。いわゆるシェアハウスだが、名前のセンスが興味深い。なによりも、言葉のインパクトがある。ちなみに、当初の住人がだらしない、というのがダメハウスの由来らしい。

さて、コンペでは、このエピソードにとらわれることなく、ダメハウスいうキーワードを手がかりに、建築的なアイデアを自由に発展させて欲しい。例えば、〜ができない、〜ない、ゆるさなど、一般的にはネガティブとされる状況をポジティブな設計に昇華させること。あるいは、住民がダメ系のひとたちのプログラム(ニートばかりの集合住宅とか)。ほかには、ダメの概念を手がかりに設計することも可能かもしれない。イケてるとか、カッコいい、ではない価値を探るのだ。それはコンペという制度自体に対する批評的な行為だろう。バブル崩壊後の日本では、ダメという運動体が注目されたが、これも経済成長期が支えたイケイケの上昇志向に抵抗するカウンターの生き方を提唱するものだった。ダメはダメじゃない。

そうした価値の転換を感じさせるような新しい住宅の姿を期待したい。

 

引用元

五十嵐太郎様提供

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